ボニンブルー父島 東京都小笠原

東京から南に1000km。
コンクリートジャングルの東京とは180°違った、ジャングルの東京がそこにはあった。
東京都小笠原村父島。

便宜的に東京都としてあてがわれたそのジャングルは、一般的な東京都とは一線を画す。
気候も違えば、住んでる生き物も違う。
そして、時間の流れ方が全く違う。

大陸から隔絶されている為、島の生物は独自の進化を遂げていて「東洋のガラパゴス」とも称される。
そんな背景を持った父島を含む小笠原諸島は、2011年にユネスコの世界自然遺産に登録された。

空港を持たない父島への交通手段はフェリーのみ。
天気も悪く、海もあいにくの荒れ模様。
断続的に船は揺れていた。
胃の奥深くに吐き気のような違和感を感じながら、本を読み続ける。
そして、やがて襲ってくる睡魔に意識を委ね、しばらく眠りに落ちる。
そんなことを繰り返しながら、客船「おがさわら丸」が目的地の父島に到着したのは、

竹芝桟橋を出発してから25時間半後のことだった。

父島に到着した当日は、あいにくの天気だった。さらに夜になって土砂降りの雨。

一部では山肌の泥が溶け出し濁流となり、海へと流れていった。

自然が支配する世界の洗礼を突きつけられた。

明くる日、天気は回復していた。

島内を徘徊してみると、曇天とは違った印象の自然がそこにはあった。

雲はあるものの、青空が見える時間もある。

太陽の日差しを浴びて、小笠原の海も本来の輝きを取り戻したようだ。

”ボニンブルー”という、小笠原の海特有の深い青が少しだけ垣間見えた。

ボニンとは無人という意味で、かつては無人島だった小笠原。

無人(ムニン)が変化してボニンとなったそうだ。

昨晩の大量の雨を、山はたくさん吸い込んだ。

やがて自然の大きな滝を作り出し、ボニンブルーの海原へと吐き出していった。

昨晩の雨で食事ができなかったネズミも、外に飛び出し食事にありつく。

植物にとっては恵の雨のようだ。

植物が彩るそれぞれの緑は、水を得た魚の様に生き生きとして、

コントラストを一層高めていった。

この島の主役はやはり自然なのだと感じさせられる。

太陽を待ちわびていたのは、どうやら植物だけではないようだ。

島のいたるところには、小動物がたくさんいる。

大きめの葉っぱの上でグリーンアノールが日向ぼっこをしていた。

実は、このグリーンアノールは島の固有種ではなく、積荷などに紛れて島に迷い込んだ外来種なのだ。

これがまた厄介で、島の固有種の昆虫などを食べてしまうので、駆除の対象となっている存在なのだ。

つぶらな瞳が可愛いのだが、この島では厄介物として扱われてしまっている。

ちょっとイタズラをしてやろうと、長い尻尾をつまんでみた。

驚いたのか、激怒したのか、彼は喉元を赤く染めペリカンのように膨らました。

父島にはたくさんの戦跡が残る。

太平洋戦争時、父島は日本軍によって要塞化されていった。

森の中を歩けば弾薬庫の跡であったり、トーチカの残骸や砲台など見つけることができる。

当時の姿とはかけ離れた姿がそこにはあり、風雨や潮風によって少しづつ少しづつ身を削りながら、

この先もそこに立ち続けるのだろう。

朽ちた重機には「ヤンマー」の刻印
侵食を耐え忍ぶトーチカ

鬱蒼とした茂みの中には、兵舎として使われていた廃墟が残されていた。


看板には「建物の基礎、石積み、水路等と思われる遺構が残されており、兵舎跡と考えられます。石積みの階段は、村道よりのやや高い場所にあった砲具庫、貯水槽へと続いています。」と書かれている。

戦後数十年。

植物が生い茂り、建物を少しずつ呑み込んでいく。

カンボジア・アンコール遺跡のタプロームのような趣があった。

小高い丘に隠されたサーチライト。

米軍のB29が上空を飛ぶとき、このサーチライトを引きずり出し、機影を追ったそうだ。

この筐体の下には、レールが引かれていた。その周りには照射面に装着されていたであろうガラスが、無数の破片となって落ちていた。

捨てられたように留まり、戦争の生々しさを感じた。

戦争当時、父島においては上陸戦はなかったものの、

空襲は頻繁にあったそうで、島のあちこちには防空壕が掘られていた。

日本軍の使用していた建物などはそのまま捨てられ、数十年の間に植物が好きなように侵食していった。

人間が犯した愚行を丸呑みにしてやろうと、少しづつ少しづつ呑み込んでいく。

コンクリートであろうが、金属であろうが。

鬱蒼とした木々の隙間から木洩れ陽が差す。

枯葉で敷き詰められた地面を優しく照らした。

風が吹いた。

葉っぱが擦合う音が辺りに響く。

この瞬間にも、取り残された戦跡は、少しづつ呑み込まれていく。

この環境を制するのは、人間の支配ではなく、紛れもなく自然だった。

そういった戦跡がある中でも、世界遺産として登録されることは稀なようで、

いかに島の生態系が貴重で、その自然が世界遺産の登録に至った要因として

どれほど重要だったか伺い知ることができる。

タイトルとURLをコピーしました